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影の功績 明智光秀 日本の皇室を救った男
シドニー在住のソラヤマさんからまたまたメールが届きました。
こちらもほぼそのままシェアさせていただきますね。

でもですね、
私は明智光秀は百姓に殺害されてはいないという一つの仮説に
大変興味があり、歴史を読むとき私自信の側に置いております。

理由は
1、光秀の首の検分(検死)が明らかではないこと
2、その不確実性を「落武者狩」物語で結ぶことは勝者の論理
3、天子様との位置関係をきちんと整理することで天下統一へ
4、光秀のことが後に「天海」として記されている

常に歴史は、裏切りと大義名分のなかの物語として在り続ける。

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信長の重臣だった明智光秀(あけち みつひで)は主君、織田信長より本心を打ち明けられ

仰天します。


“この世に天子様(天皇)は二人も要らない、この国を治めるのはこの信長だ!” 


信長公は最晩年に「総見寺」を作り “自分を神として崇めよ” と民におふれをだした

ことからして全く作り話でもありません。

「本能寺の変」を起こしたのは、光秀の持っていた近江(滋賀県)・丹波(京都府)の

土地所領を信長がめしあげると云われて、我慢の限界が来たとい説が有力ですが、


実は、

神武天皇から2000年以上受け継がれた天子様をないがしろにして、自分がとって変わる

という大それたことを起こすことに恐怖を抱いたからという説もあります。 


光秀の本姓は源氏でのちに朝廷より惟任の姓を賜り家系は清和源氏の摂津源氏系で、

足軽(百姓)上がりの羽柴秀吉とは身分が違います。


これ以外の説には『徳川家康との共謀』『長宗我部元親の後ろ盾』『天皇家による命令』

など諸説があり謎とされていますが・・・

信長のそばにいた宣教師のルイス・フロイスは、

信長の性格を著書の中で『彼は日本のすべての王侯を軽蔑した』とこう表現しています。


つまり信長は本心では天皇を始めとした貴族たちのことを馬鹿にしていたのは

事実のようです。


その態度にプライドの高い天皇家が激高したというシナリオもありえる気がするのです。 

でも、実行犯は天皇(天子様)の一派でもなく、

まちがいなく明智光秀が単独で「本能寺の変」を起こしたのです。


当時、命令に従わない戦国武将たちを攻略した場合は城主のみならず一族郎党すべて

抹殺するどころか、その一派を徹底的に弾圧するしきたりがあったのです。


もし「本能寺の変」がなければ、信長の命により天子様(天皇)の一族、朝廷を組織する

公家など恐らく何千人の命が奪われ、国中が大騒ぎする事件が起きていたことでしょう。


そして、そのとき、世界一長い記録を持つ日本の天皇制度は崩壊していたかも知れません。


明智光秀という人は、日本の武将の中で「最も卑劣な男」として有名ですが、

日本の皇室を救った男として「影の功績」のある人物なのです。


現在放映されている2014 NHK大河ドラマ「「軍師官兵衛」のなかで、

光秀が「落ち武者狩り」にあい、地元の百姓に殺害される場面がありましたが・・・


光秀が竹ヤリで刺された時に側近達に言います。


“わしのしてきたことは正しかった”

“間違いなかった” 

と叫びながら死んでゆきます。


それは「俺が天子様を救ったのだ!」と言い残してこの世を去って逝ったのです・・・


by yskkyhh3 | 2014-08-17 21:43
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