「ちゃんぎりまい」と書いて「ちゃんぎいみゃあ」といいます。
私はこの言葉にある種の愛着を持っています。
なんとはなしに言葉の響きをとても好いているのです。
意味ですか? わからない人はなんのことか全くわからないでしょう。
わかる人にはなんの違和感も無くすんなりその状況がわかるでしょう。
イメージでは「当たり鉦を打って阿波踊りをする男のひと」でしょうか。
そう、
わたしはいま「ちゃんぎいみゃあ」しているのです。
いかがですか? 滑稽でしょ。
でも本人は真剣に「ちゃんぎいみゃあ」なのです。
現場で問題が生じます。現場の実情をよく知るためには、現場に出向かなければなりません。
こちらから出向いて、話をして、話を聞いて、そして理解を深め、一緒に対処していくのです。
わたしの現場は「放課後児童クラブ」。
そしてそれを中心とした未来課がわたしの仕事場です。
時として言葉の洪水に溺れそうになることもありますが、そこは
ちゃんぎいみゃあしながらでも
巧く渡るか、かき分けて進んで行くしか無いのであります。
「摺鉦〈すりがね〉舞」という字が当てはまるかどうかは知りません。
こんなことをつらつらと想いながら
今晩も夜9時を過ぎてからのひとりだけの夕食を摂ってしまいました。
一番いけない食事の仕方のようです。
そうこうしているうちに次男坊が塾から帰宅しました。
夜10時を過ぎました、風呂に入って寝ます。
あしたもまた「ちゃんぎいみゃあ」をするでしょう。
でもわたしは決して多忙ではありません。念のため。
ただただ、ちゃんぎいみゃあしているだけなのです。