<   2004年 11月 ( 33 )   > この月の画像一覧
ある教育者のこと 武雄市在住 主婦Mさん著 石丸三郎先生転記 編集K&KMORI 
 “武雄中学校には「いじめ追放委員会」と称する大変ユニークな委員会がある。生徒達の自主によって生まれたものだが、それは当時の校長、石丸三郎先生の言葉につくせぬ生徒達への慈愛と“いじめ”根絶への情熱が、子供達を大きく動かす「うねり」となって現れたものだった。
 石丸先生が武雄中学に校長としてお出でになった頃の武雄中学は荒れに荒れていて、雨の日は土足のまま職員室の前をズカズカ歩く、授業中に教室を抜け出す。教室の後部で授業中に車座になりトランプをする、と手のつけられない有様だったらしい。しかし、この子達が卒業式の日、「石丸先生、お世話になりました」と泣きながら花束を贈呈しお礼を述べた時の感動が父兄の間で話題になった。ここに至るまでのプロセスは想像に余りある。
 全九州PTA大会の帰路、バスの中での研修報告の折、会員のF氏に番が廻った時のことだった。F氏は「報告はすでに語りつくされたようなので、私は石丸前校長への忘れられない思い出話を・・・」と、いささか場違いの感じで語りだされた。
 「子供が柔道部におりまして、中体連を終え、その活躍と労をねぎらって校庭の隅で、焼肉大会をしてやったのです。その内に誰が話したでもなく石丸校長の話になりました。夏休みに数学の勉強会をしてもらって数学が面白くなったと話す子。毎日校庭のゴミ拾いを続けておられることの話から一人の生徒が思いがけないことを話し始めました。『校長先生はほんによか先生ばい。おいがわざと紙くずを捨てたぎ、だまって拾いんさったとばい。もう一回、捨てたぎにゃ、にこって笑うて、また拾いんさった。あんまい悪かこたされんて、思うたけんのを』と、しみじみといって、他の子みんなが、うん、うんとうなずく感じでした。私は胸がじいんとする程感動させられました。」PTAの役員の中でも大変地味なF氏の話に帰路の車内がシーンとなった。
 エピソードの一つ一つをあげればきりがない。
 夏休みも冬休みも、土曜日の午後もずっと、落ちこぼれて突っ張っている子たちの数学を見てやり、校内のゴミ拾いを日課とし、1年から3年までの各教室の授業を、ゆっくり見て回る。数学の授業には足を止めて遅れた生徒を見てやる。
 現在、年毎に登校拒否児が増え、原因は相も変わらず“いじめ”が大半を占めるという。石丸先生は“いじめ”に対しても「いじめは学校の責任です」ときっぱり断言され「許すまじ」の気迫でのぞまれる。
 その姿は、いじめられっ子や、その親たちにとって<神様>のように見えた。
 指導を受けられる先生方はきつかったと思う。私はわが子を通して、現在のいじめの正体をを経験した。真の痛みは体験したものしかとうていわかってもらえない。
 「昔もあった」とか、「いじめられる側に原因があるから」「たかがいじめ」となかば肯定的でさえあって、その壁は厚い。
 確かに、生半可なメスなら入れてくれないほうが有難い場合が多い。
 現在の“いじめ”の陰湿さは、たかがいじめの域をはるかに越えた深刻さであることを大人たちは解ろうとしない。渦中にある子にとって教室はオーバーでなく、精神的な拷問部屋であり、学ぶ権利は完全に奪われてしまう。
 「登校拒否」「非行」更には「死」へと追いつめられる。マスコミが一時的にわっと騒ぐ。原因が追究され死んだ子は哀しんでもらえる。ここまで進まないと背後をわかろうとしない。SOSをキャッチしても、救うには限りないエネルギーを必要とする。なるべくなら耐えて欲しいと、大人達は望んでしまう。
 石丸先生は逃げられなかった。その情熱は凄まじかった。
 私達親子も、どれほどの心の支えにさせていただいたかわからない。
 先生の気迫が校風となり、生徒達に「いじめ追放宣言」を決起させ「いじめ追放委員会」の設立へと発展した。石丸先生は太陽の慈愛で子供達を導かれた。意を受け継がれてか、お世話になった担任の先生方も、事ある時に、一生懸命心を傾けてくださった。私は“いじめ”を学校側の責任だけとは思っていない。取り巻く大人全体の責任で、学校は苦しみを受け止めてくれるだけでも有難い。私達親はその点で恵まれていた。育ちゆく過程で、心底から信頼できる師に出会えた子供は、その人生が変わる程に幸せではないだろうか。
 なにかしら世の中むやみと忙しくて、大人も子供も、誰かが泣いていないと自分が安心していられないところはないだろうか。“自分さえ良ければいい”のではなくて、まず大人が変わらなければ子どもの社会は変わらない。
 石丸先生が子供達を愛されるように、大人が子供達を愛せたら、世の中が変わる。”
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by yskkyhh3 | 2004-11-26 09:50
思いつめた母親の来訪 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
 校長室で執務中「校長先生、お客様です」の職員の声で席を立って迎えに出ました。見知らぬ女性の緊張した顔が見られました。緊張をほぐすため、笑顔で招じ入れ、おだやかに用件を尋ねました。訥々(とつとつ)とした口調が、やがて堰を切ったような話し方に変わりました。要約すると、ひとりの息子がO小学校の6年生でひどい「イジメ」を受けている。4年生の2学期、福岡から転学した。話し方が違うということからイジメが始まった。担任の先生に相談したが少しも好転しなかった。
 5年生になって担任が替わり、この先生は親身に世話をしていただき全く問題はなかった。6年生になってまた担任が替わりまたイジメが始まった。
 再三担任に相談したが、真剣に取り上げてもらえず毎朝登校させるのに一苦労をしている。今朝は玄関に座り込んだままどうにもできなかった。
 うちの子は早熟で陰毛が生えはじめている。昨日は体育のため着替えていると、3人組から女子のいる前でパンツを引きずり下ろされたとのこと・・・・・・。
 「こんなことを許していいのですか?」悲憤の涙で訴えられました。
 武雄中学の校区には3つの小学校がありました。O小学校はそのひとつです。私は義憤に耐えかね声をおさえて尋ねました。
 「校長先生には相談されましたか」「1度はいたしました。しかし、担任の先生の手前、大分おさえてお話したせいでしょうか。『担任に話しておきましょう』とはいっていただいたのですが・・・・」
 そこで私はこれまでのイジメの仕打ちを聞き出し、3人組の名前を尋ね受話器を取りました。運良く小学校の校長に通じ、敏速な対処を頼むことができました。一方、母親には昼休みの時間に再度来てもらうことにしてその間に手を打ちました。いじめられる子の属する集落の担当教師に相談して気骨と体力を備えた2~3年生を2人選びました。昼休みに選んだ生徒2人とその学級担任2人に集落担任を校長室に来てもらって、母親にイジメの実態を話してもらいました。2人の生徒達にはその後、私が頭を下げてA君の兄さん代わりになって欲しいと頼みました。2人は目を輝かせて引き受けてくれました。
 20日ほどたって母親が来訪されました。晴れ晴れとした顔で「学校の指導と2人のお兄さん役の出現でイジメは解消しました。今朝も元気よく『行ってきます』と飛び出しました」「2人の生徒さんを今週の土曜日に夕食に招いてお礼をいうことにしています」「校長先生のご恩は生涯忘れません」といって帰られました。
 そこで私は、鉛筆2ダースとノートを用意して昼休みを待ちました。
 2人の生徒はやや緊張した態度でした。A君の母親が来訪されたことと、とても感謝されていることを告げ、私のほうからもお礼をいうと緊張がとけて話しだしました。
 校長先生に頼まれた後、兄貴役をどのようにつとめるかを2人で相談した。まずA君と仲良くなること。その為には、休みの日にA君を誘って一緒に遊ぶこと。A君と仲良くしていることを、ほかの小学生に見せつけること。
 私はこれをねらっていたのですが、2人はあA君の家を訪問する度に歓待されて、それ以上のことをしてくれました。
 いじめっ子の一人は、同じ集落の子だったので、呼び出して厳しく注意をした。その子を通して後の2人にも圧力をかけている。
 「これからしたいことは3人に詫び状を書かせることです。」
 私は2人の手を握って改めてお礼をいいました。
 このことがあってから3年ほどたち、すっかり忘れている私の所に一冊の冊子が届きました。それは佐賀県教育委員会が出している「教育佐賀」でした。
 開いてみると前述のA君の母親Mさんの寄稿が掲載されています。驚きました。内容は私に関することでした。
(次回はその寄稿を紹介させていただきます。編者)
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by yskkyhh3 | 2004-11-24 15:58
教師のイジメ対策 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
<深刻化するイジメ>
 いたずら、腕白は子供の世界ではいつの時代にもありました。だからこれらのことは人間形成の一過程と考え、ことさらに問題にはしなかったものです。しかし、当今のイジメの中には驚くほどの残酷なものや凶悪なものがあります。そのイジメに耐えかねて、毎年、何人もの生徒が自殺という形で絶え続けています。この訴えを私たちは、真剣に受け止め、再発防止に生かさなければなりません。懸命の訴えを無にしてはならないのです。
<訴えに対する対応が手ぬるい>
 「イジメを子どもが親や教師に訴えるときは、その子は極限状態にあることを忘れない」
子どもの訴えに対して、「それほど深刻に苦しんでいるとは思わなかった」とか「そのうち何とかしようと思っていた」とか、いうのが多いですね。
“先生方”自分の子どもが、自分の弟や妹がこんなにいじめられたら、担任や学校にどんなにして欲しいかと考えてください。そうすれば、わが子が熱発して苦しんでいるのに、看病は明日にしようなんて悠長なことはできないはずです。
「学級は第2の家庭・学年担任は第2の親」なのですよ。
<イジメの問題性>
1.集団で行われる。いじめる側は多数。イジメられる側は個人、または小数。このためいじめる側は行動を正当化します。そしてグループの安定を図ります。周りの子は自分の安全を図るため事実を知っていても知らぬふり、見ぬふりをします。
2・教師の意識 私の学級にはイジメはないと思い込んでいる教師が多いということです。廊下でイジメ的な行為を見ても「先生、冗談、冗談」といわれればそのまま通り過ぎてしまう。この場合、イジメられている子の「助けてくれ」という心の叫びは、教師に届いていません。
<サインを見逃さない>
 いじめられている生徒にとっては、教師が気づいてくれぬもどかしさで不信感が強いです。
1 表情に生気がなく無口となる。
2 原因不明の擦り傷や内出血(打撲傷)がある。
3 欠席・遅刻・早退の理由がはっきりしない。
4 よく職員室前をうろうろしている。(便所に長く隠れたりしている)
5 服の背中や太ももの部分に土や靴跡が着いている。
6 授業中に奇声をあげたり、音をたてたりする(これはやらされている)
<イジメの事実を掴んだら>
 最後まで指導しきる姿勢が大切。
 中途半端な指導では、被害者をますます孤立化させ窮地に追い込んでしまう。学級全体やイジメの核になっている生徒の指導のほかに、イジメられている子を支えてくれる勇気と正義感のある生徒を2から3名つけてやることです。
 これは同級生に限りません。近所の上級生など最適です。先生が頭を下げて真剣に頼み込めば必ず引き受けてくれます。その後の様子を見守り続けることです。
 順序が逆になりましたが、イジメを発見し、その事実を掴んだら解決のため厳然たる態度で、徹底した指導を続けなければなりません。
 ほとんどの学校が、また学年担任が一応の対処はするが、それで一件落着としています。その後の粘り強い指導がなければいじめがすぐおさまるものではありません。いじめが発生するような学級風を改新しなければいじめはなくならないのです。イジメが発生するような学級に担任がなしてしまったのです。
 イジメを支える学級風にメスを入れなければなりません。
 イジメの起こる学級は、強い子がのさばり、弱い子、おとなしい子は息をひそめています。弱い子の味方になり、常にかばってやり、強い子をたしなめ抑えることです。ものわかりのいい先生、甘い先生になってしまってはいけません。
 イジメや暴力に対しては、教師の人間的な怒りや悲しみを丸ごと生徒にぶつけて、毅然として闘う(絶対に許さない)という姿勢を示さなければなりません。
 以上でこの項は終わり、先に述べた「イジメられる子を支えてくれる者」をつけてやった事例をつぎに述べます。
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by yskkyhh3 | 2004-11-22 15:21
「人間理解の深く豊かな教師になろう」 石丸三郎先生著 編集K&KMORI 
 前年度は2学期当初から「学校の荒れ」がおさまり、運動面でも文化面でも飛躍的に向上したのに、次年度はまた1学期末からおかしくなり始めました。これには原因があるのです。
 年度末には教職員の人事異動があります。そこで私は市の教育長に頼み込みました。「来年度もこのままの体制でいきたいのですがそういうわけにもいかないでしょうから、人事異動は最小限にとどめてください。」
 例年6から7名の異動はあっていましてので3から4名くらいかなと考えていたのです。蓋を開けてみると13名でした。本当に腹が立ちました。
 それも中心的な働きをする先生方を何人もです、“荒れ”を引き起こす原因である教師の権威で、力でねじ伏せようとする先生たちの意識を1年かかってやっと変えたのです。先生達が変わったから生徒達も良くなってきたのです。
 “学校の荒れ”は教師の指導(授業のあり方、生徒指導の姿勢)への不満の噴出。おさめるには教師の指導力の向上と豊かな人間性が大きな鍵です。
 「人間理解の深く豊かな教師になろう」と一緒に頑張ってきたのでした。

・上意下達の指導
 新たに赴任してきた先生たちの会話です。「転勤先は荒れで聞こえた中学校と言うことで心配してきたが、普通の学校と変わらないじゃないか」それで教師の権威をふりかざした上意下達の指導が展開されるようになりました。その指導ぶりの一例をあげてみます。

 地区の中体連の陸上競技大会は地元の競技場で開催されます。
 そのため私の学校からはブラスバンド部に競技役員の補助員としてたくさんの生徒が参加します。授業が困難なので、全校生徒が応援に出かけるのです。
 途中、国道を横断しなければなりません。国道と県道が交差する交差点です。そこに千名をこす生徒がつめかけました。3年生が先に出発し、続いてその後に2年が出たのです。出発の時刻をずらすとか、少し回って別の横断歩道をわたらせるとかの対応が必要でした。
 少し遅れて現場に到着した私は驚きました。南北に通ずる県道には南側にも北側にも延々と車が繋がっています。
 先生たちは早く渡らせようと「走れ・走れ・走らんかっ」と大声で叱咤しますが、生徒たちはわざとのようにゆっくりわたります。
 たまりかねた学年主任が手にしたメガホンで生徒の頭をたたき怒鳴りだしました。それでも走りません。衆人環視の中です。ぶざまな指導ぶりにこれ以上続けさせられません。信号が赤になるのを待って「学年主任さん。ご苦労さん。私にも協力させてくれませんか」と頼んでメガホンを借りました。
 縁石に上がり「2年4組と5組の皆さん、ずうっと詰めてくれませんか」生徒たちは素直につめてくれました。「皆さんにお願いします。南の方を見てください。あれだけの車に迷惑をかけています。次に信号が変わったら走って渡ってくれませんか。皆さんがそのお手本を示してください。」信号が変わりました。全員がダーッと走りました。私はメガホンで心から叫びました。「走ってくれて有難う」渡るのは2学級だけです。あとは車に譲ります。
 信号が赤に変わった時は2の6と7の生徒たちはずっと詰めて待っていました。ありがたいこと。そこでまたお礼です。
 「2の6と7の皆さん、詰めてくれて有難う」生徒達の顔が明るくほころびます。これでうつきり。「出しゃばってご免なさい」と学年主任に詫びてメガホンを返しました。
 出すぎた行為でしたが、このことがあってから学年主任の意識が変わり始めました。
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by yskkyhh3 | 2004-11-19 09:58
教育の広場 17号 またなぜ学級経営か 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
*夏休み以降の生徒の心の動き

 先日の職員朝会で私は、つぎのような話とお願いをしました。それを、もう一度、ここに記します。
・・・・・近頃、私が非常に気になっていることがあります。器物破壊の暴力が振るわれた跡があることです。ここ一年間絶えていたことが、便所の扉や目立たぬところに見られます。また、2年生の言動がふてぶてしくなってきていることです。
 女先生の注意など、何処吹く風、と受け流しているのも見受けました。これをただ力だけで押さえ込もうとすると、ますます反対方向に流れ、生徒間暴力、対教師暴力へとエスカレートしていきます。こうなすのは教師の負けです。教師の権威で一方的に押さえ込もうとした、策の無さからと私は思います。

 「先生方、今のうちに、なぜこうなってきているかを考えましょう。」
 次に今から申し上げることは、「先輩からの一言」と思ってきいてください。

1・学級経営で悩んでいられる先生は、広い範囲で学年主任さんやベテランの先生に相談してください。すばらしい指導を受ける場合がありますよ。

2・ある先生はクラスの全生徒に毎日、声をかけることにしています。どうしてもできなかった生徒には、夜、電話で話しかけられています。

3・母子家庭で母親は夜の勤め、朝起きることができない。それで中学生の息子は遅刻常習者、担任の先生その生徒に、モーニングコールを続けています。

4・全体には厳しく指導しても、個人対応は優しく心にひびく指導を。

それから、叱り方 これが大事です。

決して「見せしめ」「こらしめ」の叱り方をしてはいけません。愛情の無い冷たい叱り方をしていると反抗してきます。

叱る目的は何か。
生徒の心がよい方向に向くように、そして2度と同じ間違いを起こさぬように。です。

ところが叱られて職員室を出て行く生徒が「ツクショウ」とか「エークソ」といっています。叱って反感をもたれるようでは、何のために叱ったのかわからなくなります。厳しく叱っても「僕のこと考えてくいとんさー」と思わせる叱り方をしなければできません。叱り方、あたりも学年会で取り上げて研修していただきたいと思います。時間がありませんので後は「教育の広場」でお伝えします。
 つい先日のことです。職員室で叱られて出て行く生徒を見つけました。シューズのかかとを踏み潰し、右肩をそびやかしています。「オーイ、○○、ちょっときなさい。」「シューズをきれいにはきなさい」。と声をかけてしまったのです。この子は夏休みに私が14日間数学を見てやった突っ張りグループの一人なのです。素直にシューズをはきなおしました。校長室に連れて行って、肩に手をかけて「何ばしたかい」というと「ウッ」といって、涙をぽろぽろこぼしますのでしばらく待っていました。これが突っ張りの姿です。
 大きな体をしていても、彼らの心は幼く もろい心が同居しているのです。
 ふてくされているのは、教師のさしのべる手を待つ、ひとつの甘えからきているのに、彼らが問題を起こすと、すぐ教師は犯人取調べのような尋問口調で迫り、長々と説教を繰り返しがちです。
 いけないことぐらい彼等も知っています。しかしやめられないのです。
 それをわかってくれない教師に、彼らは腹を立てているのです。この不満はやがて教師不信や反感に変わり、反抗、暴力行為へと、エスカレートしていきます。
 ルソーがその教育論で、13歳から15歳までの時期は「生涯でただ一度の短いしかも特異な時代」であると指摘しています。
 人生の最も純粋で感じやすいこの時代の思い出は、強烈であり生涯消えることが無いものになるのではないかと思います。
 そのために教師は、授業の中で、ふとしたふれあいの場で、生徒の心にひびき生徒の心に食い込む教育をしなければいけないと思います。
○上記の生徒○○は、厳しく叱られていたから、私の呼びかけで、涙を流したのです。
○集団に対する厳しさがあってこそ、個人に対するやさしさが生きてくるのです。
○「教育の広場18号」は「破壊的リーダーシップに建設的リーダーシップ」という題でソニー株式会社参与の小林茂氏の講和を紹介します。
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by yskkyhh3 | 2004-11-18 16:14
▼親がわが子を安心して預けられる学校に 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
・理性のブレーキ
 
 人間が人間として生きていくために一番大切な「理性のブレーキ」を人は成長の過程で学ばなければならない。それを教え込むのが家庭と学校の基本的な役割です。このためには、教師も親も人権感覚を研ぎすまし、日頃から子供達の人間関係に目を配って、日常生活の中で「言ってはならぬことは言ってはならぬ。してはならぬことはしてはならぬ」としつけることなのです。しかし各地でいじめにあう子供たちからは、“先生が真剣に対応してくれない”との声がしばしば聞かれます。このことに関しては後日ではあるが私も実感したことがありました。余談になりますが、私は町の教育長時代の15年間、歩いて出勤し、帰りは回り道を歩いて中学校の裏を通りました。朝は子供たちの登校の集団の後を歩きました。その結果、毎年3~4件のいじめを発見し、学校に通報するだけでなく、時には学校に乗り込みました。次に「教師が真剣に対応してくれない」事例のひとつを記します。

・余談

 ある朝のことです。登校する子供たちと一緒に歩く、私の耳に「母子の争う声」が入りました。ふり返ると母親が中1の息子の手を引きずっています。
 近づかれるのを待って声をかけました。「何事かあったのですか?」
 母親は私の顔を見て大粒の涙を流して言われました。「いじめです。ひと月ほど前からです。担任の先生に相談に行きました。思わしくないので、家庭訪問の時再度頼み込みましたがこんな風です。今朝は隣家との間に座り込んでいましたのを引きずり出して学校に連れて行ってるところです」と跡切れ跡切れに訴えられました。
 「そうですか。ご心痛をかけてごめんなさい。一緒に中学校に行きましょう」校長室で校長・教頭に事情を話しました。校長はすぐ担任を呼んで指導の実際を尋ねました。担任は言いました。「1回は指導したとですよ。あいどん。この子がおとなし過ぎるからです。いじめられるのは」私は唖然としました。
 校長も教頭も黙っていますので私は言いました。
 「あなたは今、聞き捨てならぬことを言った。いじめが1回注意したぐらいでおさまると思っているのか。また、おとなしい子はいじめられてもしょうがないというのか」「おとなしい子でも、体の弱い子でも、勉強の遅れた子でも、まともに人間として扱われるよい学級をつくる責任が担任にはあるのを忘れている」「良い学級をつくるには、担任が常に生徒間の人間関係に心を配り、強い子、おとなしい子を引き上げて支えてやることだ」
 こんな担任ではどうにもならないので、校長の梃入れを頼み、教頭に直接の支援を頼む。毎朝、教室に出向き「A君、来ているね。みんなA君を頼むぞ」と声をかけてくれと。
A君は下校をするとき、教頭先生をたずねて一日のようすを報告しなさい。
 十日ほどたって教頭さんが報告にこられました。いじめを学級の問題として担任まかせにするのではなく、全校の問題として、全職員がA君を見守るようにした。
 教頭の私も、毎朝、様子を見に行って、声をかけている。A君が明るくなって登校も早くなってきた。とのこと。
 
・先生方へ いじめに対する積極的な姿勢を

校長には「良い学校」を、学年担任には「良い学級」をつくる直接の責任があります。そこでお願いです。

1 早期発見 高いアンテナ(高感度)を張って、生徒の中に入り込んで情報キャッチに努めることです。先生が知る努力をしなければ「いじめ」が簡単にわかるわけがありません。いじめが行われるのは昼休みと放課後が最も多いのです。
2 小さな暴力を見逃さないこと。これを見逃していたら次第にエスカレートしていきます。非行と暴力に対しては、はっきりとけじめをつけることです。“してはならぬことはしてはならぬ”と厳しく指導をしてください。暴力が横行する学級にしてはならぬのです。
3 生徒たちがグループをつくること自体はいいけれど、そのグループが他を排斥する行動をとる時は気をつけることです。
4 生徒たちの普段の生活をよく観察して
  ・弱い子を支援し味方になり、強い子をたしなめること
  ・かくれた子を引き出し、出過すぎる子をおさえること。
5 いじめを支える学級風にメスをいれること
  先生は学級でただ一人の大人です。深刻ないじめを解決するのは子供の力では無理です。教師が腹をすえて敢然と働きかけねば。
6 「教育は人なり」といわれているように学校教育における教師の果たす役割は大きいです。どんな立派な施設、設備が整っていても、どのように優れた教育計画が作成されていても、子どもとの直接的な接点を持ち、日々教育活動を行っている教職員がいなければ子どもは良くなりません。

 子どもの学校生活の大半は教科書の時間であり、その指導にあたる教師の人間性、専門性などが子どもに強い影響を与えるからです。
*記述はさかのぼります。
 前述の職員組合で発言した若手教師に、終了後出かけていって、私はお礼を言いました。顔をほころばせた彼のことばです。
 「校長先生の“教育の広場17号”には感銘したものですから・・・・・・・」
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by yskkyhh3 | 2004-11-15 16:25
「いじめ追放宣言」の反響 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
 (いじめ追放宣言が)地元・佐賀新聞の社会面トップ記事となった結果、大きな反響を呼びました。次の日には全国紙にも取り上げられ、電話の対応に追われました。3つのテレビ局から取材班がおしかけ大変なさわぎでした。
 これらのことによって職員の学級経営、生徒指導に対する姿勢が変わってきました。生徒会の役員がヤル気を起こし、意欲的に活動するようになりました。
 校内の気分が一新し、おだやかな空気がただよい、いじめ追放への意識が高まりました。私の目ざす「思いやりがあって規律のある学校」へ進みはじめました。とにかく、校長には「良い学校」をつくる重責が双肩にかかっていることを忘れてはならないのです。

・若手教師団からの要請
 「いじめ追放宣言」から数日たったある朝の職員打ち合わせ会のことです。珍しく若手教師の代表が発言しました。
 今まで「いじめ」に関して、あまり真剣に取り組んでこなかった。いじめの実態を知り、また生徒会が立ち上がった今、これではいけないと思う。いじめに対処する力量を高めたいのでどうか「研修会」を持っていただきたい。それに校長先生が毎月出されている「教育の広場」でも取り上げていただきたい。(後ほど、これに応えて作成した「教育の広場」を抜粋して「投稿」します。)
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by yskkyhh3 | 2004-11-15 14:02
いじめていた子からの手紙 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
<いじめのむごさを教えられて>

 石丸先生、お元気でお過ごしでしょうか。僕は、石丸先生が去年まで校長先生をしておられた武雄中学校の生徒です。
 僕は去年、武雄中学校に入学しました。入学した時に一番驚いたのは、武雄中学校に落ち着いたおだやかな雰囲気があったことです。
 僕が小学校5年生の時には、武雄中学校のことが新聞におりました。
 それが2年ほどでもとの武雄中学校にもどっていたのにとてもおどろいたのです。それには石丸三郎先生のただならぬ努力があったことだろうと思います。自分が被害をうけたこともあったでしょう。
 それにも負けず、立て直すことに頑張られた校長先生は、本当に尊敬するばかりでした。
 また社会問題として重視されている「いじめ」をなくすために、校長先生は自ら武雄中学校全クラスを訪問され、うったえられました。
 僕達のクラスを訪問された時、僕と他の数人が、ある人をいじめているということを知り、一生懸命僕達にうったえられました。
 僕はその時、校長先生の訴えを聞いてはじめて「いじめられている人の気持」というものを知りました。もし、校長先生の訴えがなかったら、僕達はまだその人をいじめ続けていたでしょう。
 校長先生のうったえで、僕はその時から、他人の心を思いやることのできる人間になろうと努力しています。先生の全クラス訪問という必死のいじめ対策は、多くの武雄中学校の生徒の心を動かし、ついには「いじめ追放宣言」ができあがりました。そして、武雄中学校生徒全員が、いじめ追放に力をつくすようになりました。これは先生が必死に努力された結果です。
 僕は入学してからこの1年間、校長先生と共に武雄中学校で生活できたことを心から嬉しく思います。
 僕は石丸校長先生こそ、本当の校長先生だったと思います。
 それは今まで書いてきたことや、またゴミなどが散らかっていると、自らひろってまわられました。僕はその姿をみて、すばらしい校長先生のおられる中学校に通うことができたことを、ほこりに思いました。
 「石丸校長先生が、校長をやめられるということを聞いた時、僕はとても悲しかったけど、それと同時に、武雄中学校を立て直され、いじめ追放に頑張られた校長先生に対して、心からはく手を送りたい気持ちになりました」。石丸校長先生が校長をやめられたことにより、僕は心から、石丸校長先生の尊さを知り、また僕も大人になったら、石丸校長先生のように他人の心を思いやり、何にでも負けず立ち向かうようなすばらしい人になりたいと思いました。
 石丸校長先生、校長先生のことは、これからもずっと忘れません。
 どうぞ、ぉ元気でお過ごしください。さようなら。
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by yskkyhh3 | 2004-11-15 11:22
校長個人の対応 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
 上に立つものがわが身を動かして実践しなければ人を指導することはできない。
 無言の実践はどんな訓示よりも雄弁である。
 これが真の教育である。
 いじめの存在を学級担任や学年の組織と全校組織のいじめ対策委員会に知らせ、直に取り組んでもらうことで充分とはいえません。
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by yskkyhh3 | 2004-11-12 16:33
その対応 石丸三郎先生著 編集K&KMORI
学年10クラスの大規模校なので全校の体制のほかに学年別の実践体制を重視して、単なる表面的な指導におわらぬようにしました。苦しんでいる子を守り支えてくれる者を2から3人つけて見守り続けました。
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by yskkyhh3 | 2004-11-12 14:43