昨晩、三夜侍仲間のお父様が他界なさったという連絡を受けた。
その数時間前、別の連絡も受けていた。
遠い異国から日本に来て外国語の指導助手をしていた私どもの仲間の死だ。
死は必ずやってくる。
しかし、
「大往生を遂げられた」と言われながら死にたいものである。
今わたしは思う。
90歳まで生きたい。生きなければならない。
そう強く思っている。
理由は単純だ。
わたしが90歳のとき長男は60歳だからだ。
家業はそれから継げば良い。
「家を継がなければならない」という使命感みたいな何かは
すでに子供の頃からわたしのなかにずっと潜んでいて、
その使命を果たせるのがこのころだとぼんやりであるが
在り続けている。
人生は60歳からと言い切ってしまえば言い過ぎかとおもわれるが、
それからの30年が本当の楽しみがまっていると考えたい。
しかし、学生の頃のわたしは違っていた。
人生は45歳で十分だと考えていた。
強靭な肉体を維持できなくなった老いた身体を想像するだけで嫌悪したからだ。
今思えばなんと軽薄な思想だったか。
いつの頃からか、わたしの人生目標は2倍の時間になったのだ。
そのことを教えてくれたのは、実は妻の言葉なのである。
「おじいちゃんには90歳まで長生きしてもらわんとね。」
「そんときお父さんは60歳。こどもは30歳やけんね。」
鮮やかである。