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枯れ紫陽花 こども部未来課青少年係の事業を考える
森家累代の墓のまわりには紫陽花がある。
過日、行ってみたら枯れ紫陽花が美しい。

梅雨時のみずみずしい紫陽花も好いが、
秋の今頃の紫陽花の表情もまた趣き深い。

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こども部未来課青少年係の事務事業計画ヒアリングを経て
平成26年度の当初予算要求書を提出した段階にあるいま、
あらためて青少年係の役割を振り返り話し合う機会を持つ。

小職と同僚職員の三宅君、大島君。この3人での議論だ。

私ども青少年係が受け持つ事業は、本来それぞれが連関
し合っていて、地域のなかにどっぷりと浸っているべき
事業なのであるが、どうも違っているのではないだろう
かという問題提起から、この度の議論は展開されている。

そう
いうなれば「地域リーダーの育成」とか、「地域の中で
の子育てに寄与する」とかというフレーズを常套句とし
て用いて事業推進してきたことへの違和感と功罪なので
ある。

果たして「地域」にサービス還元できているだろうか。

この場合の「地域」は狭義に属地的なローカルエリア
を指していて、例えば永松地区とか医王寺地区のことを
指す。

また、もう少しエリアを拡大し北方公民館とか北方町の
ことを「地域」と言うことにも異論はないだろう。

さらに広義に、属人的なエリアを「地域」と呼ぶことも
あるだろう。

例えば、バドミントンクラブとかお稽古ごとの教室とか
はこの属人的なローカルとして理解し易いところである。

これらを「地域」と私どもは定義し事業展開している。

ならば私ども青少年係の受け持つ事業は現状を悲観する
ことなく自信を持って事業進捗していることと言えよう。

でも、もっと謙虚に、
本当に「地域」に子供達の成長を還元できているのかと
問うてみる。

答えはNOだ。とことん自虐的に答えはNO。

理由は明白。私ども自身、地域子供活動への関与が希薄
だからだ。限りなくゼロに近いといっても過言ではない。

現にわんぱくスクールのジュニアリーダーの活動ひとつを
例にとってみて、「君たちは地域のリーダーなのだよ」と
いって道筋をつけたつもりでもそこに果たしてリアリティ
はあるのだろうか。ジュニアに自覚はあるだろうか?

この自問の向こう側から
私ども青少年係の役割はもっと違うところにあるのでは
ないだろうかと…。

子供達を地域に返す。この作業を私どもは怠っていたよ。
子供達は青少年係が受け持つ事業の中だけに留まる現状。

上記
同僚職員とともに掘り下げて行った現状把握と認識まで。

次はこれからの近い未来のことを書きますからね。
具体的にプログラム構造の解体から再構築を描きますよ。

枯れ紫陽花 こども部未来課青少年係の事業を考える_b0014152_01463752.jpg

枯れた紫陽花 私は好いています。
理由は次の楽しみを予感させるから。

来年の梅雨時の
あのみずみずしい紫陽花を期待させるから。


by yskkyhh3 | 2013-11-30 01:48
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